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劇場版ネタバレ小話
映画を観ていてちょっと疑問に思ったことから妄想した話です。
捏造満載ですが、よろしければ……↓







「銀時が過去の自分を殺すのを止めるだけなら単純なんだが……それだと十五年後にまた白詛が蔓延することになるな」
「ああ、そもそも過去の銀時が蠱毒に感染した事実を変える必要がある」
「だったら……」

 かぶき町、スナックお登勢。
 かつて二階に『万事屋銀ちゃん』という胡散臭い看板が掛かっていたはず建物の中で、そうそうたる顔ぶれが険しい表情で卓を囲んでいる。
 大物攘夷浪士の桂小太郎。武装警察真選組の局長、副長、一番隊長に監察筆頭。吉原自警団百華の頭。幕府剣術指南役柳生家の次期当主に、暗殺稼業を請け負う始末屋から一介のキャバクラ嬢まで。
 普通ならば一堂に会する事などあり得ないはずの面々が顔を突き合わせて話し込んでいるのは、今から十五年前に命を絶った『ある男』を救う算段だ。
 ――坂田銀時。
 過去の己を自ら殺す事でこの星の未来を変えた男を、彼らはこれから救出に向かおうとしている。
 今から数時間前、時間泥棒に残されたデータを脳に流し込まれた彼らは皆『思い出した』記憶に愕然として、それから奮起した。
 この世界を、このままになどしておくものか、と。

「確実に感染を防ぐなら、まず当時の……オイ、どうした」

 作戦会議の最中、真選組の頭脳として中心になって議論を進めていた土方が、ふと言葉を切って顔を上げた。
 彼が声をかけたのは、隅の席に腰掛けてじっと俯いている青年だ。隣ではチャイナ服の女が同じように押し黙って俯いている。
 志村新八と、神楽。現在の姿に変わる前の世界で、銀時とともに万事屋を営んでいた二人である。
 誰よりも銀時を救いたいのは彼らであるはずなのに……そもそも数時間前、鬼気迫る形相で時間泥棒を担いで屯所に突入して来たのは彼らだというのに、具体的に策を練る段になって唇を引き結んでいる二人を土方は訝しんだのだ。
 土方の視線を追った一同もまた、口を閉ざして二人を見詰める。全員の視線を一身に集める形になった新八は、しばしの沈黙の後にポツリと声を発した。

「……土方さん、僕らは銀さんを取り戻したいです。銀さんと一緒に、生きたいです」
「ああ」

 吐き出された切なる願いに土方は頷く。
 彼らがそれを望んでいるのは今更聞かされるまでもなく知っている。ここに居るのは皆そのために集まった人間なのだから。
 無言で続きを促す土方に新八は俯いたまま拳を握り締め、代わりに神楽が顔を上げる。

「銀ちゃんは?」
「あ?」
「銀ちゃんは、私たちと一緒に生きたいって思ってくれなかったアルか?」

 微かに震える声音で呟いた神楽は、そこでぐしゃりと顔を歪めて両の拳で机を叩いた。

「銀ちゃんはいっつもそうネ!独りで全部背負い込んで、独りで大怪我ばっかりして!」
「それでも最近は、僕らのこと信じてくれるようになったと思ってたんですよ!一緒に戦えるようになったと思ってたんですよ!なのに……!」

 次第に声を高めていく神楽に、新八も堰を切ったかのように心の内を叫ぶ。
 二人の声が、両肩が、きつく握り締められた拳が、彼らの抱える憤りと遣る瀬なさを代弁するかのようにブルブルと震えている。

「なんで何も言ってくれなかったんですか。なんで独りで勝手に、自分を殺しちゃうんですか!」
「なんで、独りでサッサと諦めちゃったアルか!一緒に万事屋やってた時間、全部無かった事にして、銀ちゃんはホントにそれで満足アルか!」

 ガシャン、と、神楽の拳が再度テーブルを叩いて、置かれていたグラスが高い音を立てて倒れた。
 零れた水が卓上に広がって、やがて床へと滴り落ちていく。

「新ちゃん、神楽ちゃん……」

 しんと静まり返った店内で、最初に口を開いたのはお妙だった。
 姉にそっと声を掛けられた新八は深く息を吐いて己を落ち着かせると、微笑みを浮かべようとして失敗した顔を見せる。

「……姉上。僕らね、銀さんが簡単に僕らの出会いを無かった事にしちゃったのが許せないんです」
「アネゴ、私、銀ちゃんにもっと駄々こねてほしかったヨ。死にたくないって、私達と一緒にいたいって、言ってほしかったヨ」
「これって、僕らの我儘でしょうか。銀さんは……もう、生きたいとか、思わなかったんでしょうか」

 ――だったら、僕らが今からやろうとしてる事って、ただのエゴでしかないんでしょうか。
 苦しげな声で新八が漏らした言葉を聞いて、そういう事かと土方は嘆息した。
 坂田銀時の存在を失って、失った事を認識してからつい先程まで。彼らはずっとがむしゃらだったのだろう。銀時を取り戻そう、そのためならば何でもしようと必死だったに違いない。
 そして今、面子が揃って本気で救出策を立てるに至って、彼らはふと脳裏に過らせてしまったのだ。
 果たしてコレは、銀時本人が望む事なのだろうか、と。
 ……まったくろくでもねェ野郎だ。土方は脳内で銀髪天然パーマの男を罵った。
 テメーが独りで勝手に自分を犠牲になんてしやがるから、ガキどもがこんな不安を抱えちまうんじゃねーか。苦々しく罵倒しながら煙草を咥えて火を点ける。

「……俺の知る限りじゃ、あの野郎は人間とは思えねェぐれェしぶとい野郎だった」

 深く吸い込んだ煙を天井に向けて吐き出しながら言えば、新八と神楽の視線が土方に突き刺さった。

「アイツはいつだって、血まみれ泥まみれになったって、生きてた。生きようとしてた。確かに無茶ばっかしてやがったが、ありゃ死にたがりってわけじゃねェ。ただの『生かしたがり』だ」

 違うか?目線で問えば、当の二人よりも早く周囲の人間が応じる。

「その通りだ。銀時は昔から、人を『生かす』ことに全力を注ぐ男だった。突撃時には先陣を切り、退却時には殿を務める、そういう男だ」
「……周りを全員生かしてェ旦那にとっちゃ、自分の命は優先順位が一番最後だったんだろねィ」
「ああ。それでも、皆を護った上で自分も生きられるなら、銀時だってそれに越したことはなかっただろうさ」

 桂が、沖田が、近藤が、次々に口を開く。
 お妙を始めとする女性陣はそれぞれに想うところがあるのか、唇を結んだまま、しかしはっきりと頷いた。

「アイツは護る相手がいないと生きていけない男なのかもしれないねェ。逆に言やァ、護るためならどんなにみっともなくても生きる男さ」

 そう言ったのは、煙管を片手に苦笑を浮かべたお登勢だ。
 かぶき町の女帝は不器用な我が子を眺めるような目をして、ゆったりと新八と神楽に微笑みかける。

「胸を張んな。あの馬鹿を助けるのはアンタたちのエゴなんかじゃないさ。アイツのためだ。そうだろ?」
「……はい」

 どんな世界でも変わらないその温かな眼差しに、新八は涙を零しそうになりながらキュッと袴の膝を握り込んだ。
 銀ちゃんのため、と自分に言い聞かせるように呟く神楽の横顔を眺めながら、土方はしばし黙してから視線を横へ流した。

「……オイ」

 くわえ煙草のまま唇を動かして、土方はくぐもった声でカラクリ家政婦のたまに声をかける。
 時間泥棒の箱型装置を抱えて佇んでいたたまは、不意にかけられた声に驚く様子もなく「何でしょうか」と振り返った。
 カラクリらしく表情の変化にこそ乏しいものの、彼女の瞳には確かな感情が宿っている。

「十五年前にあの野郎が自分を殺した時点で、蠱毒は地球上から消え去ったんだよな?」
「はい」
「じゃあ、その時点でタイムマシンの開発自体が無かった事になるんじゃないのか?なんでアンタはそのまま生きて来られた?」
「それはこの時間泥棒の機能です」

 唐突とも受け取れる土方の疑問に、たまは言い淀むことなく腕に抱えた箱型装置を示した。

「この装置を被っている限りは世界にとってイレギュラーな存在となり、未来が改変されても消滅する事はありません」
「なるほどな。それじゃ、世界が今の状態に変わった時、万事屋のガキどもだけが改変前の記憶をしばらく保ってたのは何でだ?」

 尋ねながら、土方は僅かに眉を顰めた。
 世界が改変された直後の事だ。市中見廻り中に突然呼び止められた土方は、銀さんを見ませんでしたかという問いに「誰だそれは」と応えた。
 あの時の新八と神楽の愕然とした表情は、今でも苦い記憶として土方の脳裏にこびりついている。
 だが考えてみれば奇妙な話だ。十五年前の時点で坂田銀時という存在が消された結果の今だというならば、万事屋のガキどもと自分とで変化にタイムラグが生じる理由が分からない。
 ずっと引っかかっていた謎を口にすれば、それは実証のしようがないので仮説でしかありませんが、と前置いてからたまは答える。

「おそらく、世界の改変という事実を認識し、それを拒む意志があったからだと考えられます」

 お二人は銀時様が十五年前に行く瞬間を見ていた。そしてそれによって変わる世界を受け入れたくなかった。
 その意識が改変前の記憶を繋ぎ止めていたが、万事屋の看板が無いのを目の当たりにして絶望を感じた事によって糸が切れてしまったのではないでしょうか。
 そう見解を述べたカラクリの瞳は強い光をはらんで輝いた。
 ――彼女が十五年間消えずに生きてこられたのは時間泥棒の機能だと言うが、本当は彼女自身の意志によるものではないだろうか。
 土方の脳裏を過ぎった考えを肯定するかのように彼女は微笑む。

「改変された世界の中で以前のままの自己を保ち続けるのは、意志の力です。強い意志を持ち続ける事で存在を保つ事ができる……と源外様は仰っていました」
「何だィ、カラクリ技師のくせに結局は精神論じゃないか」

 呆れ顔で煙管をふかしたお登勢が、だけどなかなか悪くないねと口角を上げた。
 意志の力、だと言うならば。
 改変前の世界を知って今の世界を拒んでいる自分たちは、絶望しない限り、二度と坂田銀時という男を忘れないという事だ。
 時間泥棒によって過去へ跳ぶ術がある以上、あの男を取り戻すという意志が揺らぐ事などあり得ない。

「…………それなら」
「土方さん?」

 一同が視線を交わして頷きあう中で、ただ一人、口元に手を当てて考え込んでいた土方がポツリと呟いた。
 独り言のような声を新八に聞き返されて、彼はしばしの沈黙の後、決意を込めた眼で周囲を見渡した。

「テメェら、俺から一つ提案がある。乗るか乗らねェかは聞いてから決めてくれ」


***

 視線の先に白い背中が見える。
 アレが、自分だ。攘夷戦争時代の自分の姿。右手に抜き身の刀を携えて歩いて行くその背を見詰めて、銀時は木刀を握り締めた。
 あの男の命を絶てば未来は変わる。白詛が蔓延する事のない平和な世界に。
 背筋を捕えて離さない寂寥には気付かぬふりで銀時は口角を引き上げる。他に手が無かったという諦念と、一つでも手が残されていた安堵が、脚を、腕を衝き動かす。

「……これで、シメェだ」

 地を蹴って木刀を繰り出した。
 切っ先が真っ直ぐに背を貫く――と思った、刹那。

 ガキィィン!

 横合いから降り下ろされた刀に木刀を弾かれて銀時は目を剥いた。
 攘夷志士に防がれたか。この時代の仲間には誰にも姿を見せずに目的を完遂したかったのに、失敗した。
 歯がみしながら、せめて一撃で眠ってもらおうと刀の持ち主を振り向いたところで……思わず、ぽかんと口を開ける。

「ひ、じかた……?」

 木刀の切っ先を弾いて防いだのは、今この時代にはまだ存在しないはずの隊服を纏って、瞳孔の開いた眼でこちらを睨みつけている男。
 よく見知ったその顔を唖然と見詰めれば、今度は遠くから鼓膜を叩いた声に目を見開いた。

「銀時!振り向かずに走れ!こっちだ!」
「ヅラ……!?」

 声の方向を振り仰いだ銀時の視界の端で、弾かれたように白夜叉が駆け出す。
 背後の気配に刀を構えて振り返ろうとしていた彼は、仲間の声を信じたのだ。背の間近で聞こえた剣戟の音は気になるが、桂が振り向くなと言うならばそのまま走るべきなのだろうと。
 だが、彼より十年長く生きてきた銀時には分かる。今の声が、攘夷志士白夜叉の仲間である桂の声ではないと。この時代に生きる桂より十歳年上の、指名手配テロリストの声であると。
 どうなってんだ、と立ち竦んだのはほんの数秒。みるみるうちに遠ざかっていく背中に銀時はハッと我に返った。
 今、あの男を逃がすわけにはいかないのだ。
 白夜叉を追って走り出そうとした銀時は、しかし背後から腰の辺りにしがみついてきた腕に引き止められた。

「――ッ、オイ、邪魔すん……っ」

 腕の主を確認する前に振りほどこうとして、息を呑む。

「いいえ、邪魔します!」
「絶対に行かせないネ!」

 腰に巻きついている腕は四本。
 左右からガッチリと銀時の動きを封じた二人は、零れ落ちそうなほど一杯に涙を溜めた瞳でこちらを見上げていた。
 眼鏡の青年と、チャイナ服の女性。銀時の目に馴染んだ姿からは数年分成長しているけれど、十五年後の世界に置いてきてしまった二人に相違ない。

「お前ら……!なんで、ここに」
「アンタを止めに来たんですよ!この大馬鹿天然パーマ!」
「銀ちゃん殺したら許さないアルヨ!銀ちゃんのバカァ!」

 問えば、瞳に溜めていた涙を溢れさせて新八が罵る。神楽が泣きながら振り上げた拳に右頬を殴られて、二人にしがみつかれたまま銀時はたたらを踏んだ。
 しかしそれでも木刀は手放さない。遠ざかる白い背中を、追わないわけにはいかない。

「駄目だ、ここで俺を消さねーと、未来が…!」
「未来はもう変わった。いいからテメーはおとなしくしてろ」

 何とか二人の手を振りほどこうと身を捩る銀時の後頭部を、誰かの手がバシリと叩いた。
 同時に投げかけられた台詞の意味が分からず目を遣れば、つい先ほど木刀の切っ先を防いだ男が、苦々しげに眉根を寄せてこちらを睥睨している。

「土方、オメー何を……」

 ガガッ、ザー……、問い質そうとした銀時の声を遮ったのは、土方の胸元から漏れ聞こえた雑音であった。
 隊服の内ポケットに手を入れた土方が取り出したのは携帯型のトランシーバー。

『トシ、魘魅の死体を発見した。既に白夜叉に斬られて抜け殻状態だ』

 無線機から流れ出るゴリラ――もとい、近藤の声。
 アイツまでいるのかと銀時が驚くよりも早く、ザザッとまた雑音を立てて音声が切り替わる。

『こちらリーダー桂。白夜叉の誘導に成功、無事に部隊に合流させた。右腕に傷がある事も確認済みだ』

 今度は先程も聞いた旧友の声。ああ、白夜叉は仲間の元へ合流してしまったのか。独りでいるところを狙って殺すつもりだったのに、何て事をしてくれるのだ。
 呆然と成り行きを眺めるしか出来ない銀時の目の前で、土方は「よし」と頷くとトランシーバーを己の口元に持ち上げた。

「白夜叉の蠱毒感染、及び生存を確認。プランAを決行しろ」
『――了解しました。未来再改変の条件をクリアしたものと見なし、プランA、実行に移します』

 土方の指示に無線機の向こうから諾を返したのは、男性の落ち着いた声色……聞き覚えがある。これは、時間泥棒の声だ。
 何だ。お前らは何をやっているんだ。プランAって一体何だ。幾つもの疑問を抱えたまま立ち尽くす銀時の耳に、時間泥棒の声が続けて流れ込んでくる。

『時空間転送、目標地点――十五年後、ターミナル跡地』

 無線機を通した声がそう告げた途端、彼方に見える林の奥から青白い光の柱が立ち昇った。
 あの光が時空間転送の証であると銀時は知っている。だが、時間泥棒がここから十五年後に跳ぶ目的が分からない。

「迎えに行ったんですよ」

 唖然と光の柱を眺める銀時に、腰にしがみついたままの新八は涙声で言った

「待ってても自力じゃ帰って来れないバカは、仕方ないから引っ張って来る事にしたアル」

 同じく銀時の身体に両腕をきつく巻きつけたまま、泣き笑いで神楽も言う。
 バカ、とは、自分のことか。それ以外に考えられない。迎えに行ったとは何だ。意味が分からない。
 何も分からないのに、何故だか急に泣きたくなって銀時は口を噤んだ。
 押し黙ってしまった銀時の側頭部を、土方の手が乱暴に小突く。

「いいか万事屋。今この時間は、すぐに無かった事になる。もう一回やり直す。次は全員で、全部救うぞ」
「な、に言ってんのか、全然、わかんねー……」
「ああ、わかんねーだろうな。今はそれでいい」

 ぐちゃぐちゃに混乱した頭のまま、途切れ途切れに吐き出した言葉に土方は笑う。

「大丈夫だ。世界も、俺たちも……お前も。何も心配いらねーよ」

 荒廃した未来をこの目で見て、それを変えるたった一つの手段を邪魔されたばかりの銀時にとっては、土方のその台詞は信じ難い夢物語でしかない……はずなのに。
 泣きながら笑って縋りつく新八と神楽と、真正面からこちらを射抜く土方の瞳を見たら。ああ、嘘ではないのだと。
 信じていいのだと――根拠など無く、ただ、そう感じた。


***

 赤すぎるほど赤い夕陽が、荒れ果てた空間を鮮烈な色に染め上げている。
 たまは時間泥棒の装置を頭に装着したまま、二人の坂田銀時が対峙する様を物陰から見詰めていた。
 白夜叉が殺されるのを防いだ事で未来は『作戦通り』再改変されたらしい。十五年の時を跳んできたたまが辿り着いたのは、白詛により荒廃した地球、崩壊したターミナルの跡地。万事屋坂田銀時の木刀が魘魅の胸を貫いた瞬間だった。
 低く掠れた声で紡がれた魘魅の言葉を、銀時は噛み締め嚥下して、そして自嘲気味に笑んだ。十五年前のあの時から俺はこの世界に存在しちゃならねーもんだったってわけか、そう呟いて、魘魅の胸から木刀を引き抜き立ち去って行く。
 ――そんなことはない、そんなことはない。たまは否定を叫んでその背を追いたくなるのを耐えて、彼が向かったのとは違う方向へと足を踏み出した。
 今の自分がすべき事は、あの木刀を携えた男を止める事ではない。任されたのは別の役割だ。
 何よりも優先すべき、使命が。今の自分にはある。

「銀時様」

 この場を立ち去った男に聞こえないよう、音量を抑えた声を発する。
 呼びかけた相手は階段に腰を下ろしたまま項垂れている男だ。似合わぬ禍々しい衣裳を纏って、足元に錫杖を転がして、胸からおびただしい量の血液を流しているその男へ、駆け寄る。

「銀時様」

 たまは彼の前に跪いてその名を呼びながら、未だ血を流し続ける傷に布を押し当てる。
 止血なんて、この傷では気休めにもならないとカラクリの思考回路では分かっていたけれど、それでも零れ落ちて行く命を少しでも繋ぎ止めたかった。

「銀時様、目を開けてください」
「…………ん、せ……?」

 何度目かの呼びかけにヒクと微かな反応を示した彼は、僅かに唇を動かして声を漏らした。
 声はほとんど言葉を為していなかったけれど、たまの耳は余すところなくそれを汲み取る。
 せ、ん、せ……せんせい――先生。
 『先生』と彼は言った。たまはそう理解して、じっと目の前の顔を見詰めた。
 たまは源外から時間泥棒の機能について全てを教えられている。この装置を通して発せられた合成音声は、水先案内人としての役割を果たしやすいよう、銀時が無意識下で最も信頼している人の声に聞こえるのだそうだ。
 ……その人の呼びかけならば、彼は目を覚ますだろうか。
 たまは懸命に止血を施す手は止めぬまま、考える。
 その人がどんな話し方をするのか自分は知らない。ただ、『先生』と呼ばれる人物ならば、おそらく銀時の名に『様』を付けることはないだろう。

「――銀時」

 そっと口にすれば、銀時の瞼が震えた。

「銀時……私の声が、聞こえますか?」

 どんな口調が正解なのか分からない。ただ彼に信頼を抱いてもらえるようにとだけ心掛けて言葉を続ければ、力無く垂れていた彼の小指がピクリと動く。

「よかった、まだ聞こえていますね」

 もう少しだけ頑張ってください。
 たまはそう言って立ち上がると、辛うじて命を保っている銀時に向かって時空間転送のスイッチを押した。
 途端に放たれる青白い光。

 目標地点は、十五年前――


***

「作戦の確認だ。まず混同しねーように先に呼び名を決めとくが、坂田銀時については、この攘夷戦争時代にいるのを白夜叉、そいつを殺しに時空を跳んでくるのを万事屋、十五年後で行方不明になってやがった野郎を天パ魘魅と呼ぶことにする」
「天パ魘魅……」
「ただの魘魅っつった時は、あのクソ天パじゃねェ、この攘夷戦争に傭兵として雇われたヤツを指す。それでいいな?」

 万事屋銀時が白夜叉を殺しに来る日の、半日前。
 攘夷戦争真っ只中の時代にやって来た一同は、人目につきにくい林の中に陣取って作戦会議を開いていた。中心に立つのは作戦の発案者、鬼の副長土方十四郎だ。
 土方は坂田銀時の呼称を決めてから、ぐるりと周囲を見渡して計画の再確認を始めた。

「よし。これから俺たちは、万事屋の白夜叉殺害を妨害する。蠱毒を体内に宿した白夜叉をそのまま生存させて未来を『元の状態』に戻した上で、十五年後から天パ魘魅をこの場に転送させる。これがプランAだ」

 腰から鞘ごと外した刀の小尻で地面を突く。
 ガツと音を立てて土にめり込んだ小尻が、彼の表面上の冷静さとは裏腹な内なる激情を思わせた。

「平賀源外の仮説によれば、俺たち自身が意志を強く持ち続ければ、未来が改変されてもしばらくは記憶や存在を保つ事が可能なはずだ」

 そこで言葉を切って、土方は深く息を吸う。

「現状に満足するな。逆に絶望もするな。目的を見失わず、歩みを止めるな。天パ魘魅をここへ連れてくるのに成功したところで俺たちが消えちまったんじゃ意味がねェ。全員、気を確かに持てよ?」

 おうっ!はい!全員が即座に力の籠もった声で応じるのへ頷いて、彼は微かに唇の端を上げた。

「プランAの成否にかかわらず、時間泥棒がこの場に戻ってきたら続けてプランBに移る。今度は万事屋の到着以前に、白夜叉が魘魅との戦いに赴くのを妨害して蠱毒の感染を防ぐ。それから万事屋と合流して魘魅を叩けば――」

 土方の言葉の途中で突如、眼前に生じた青白い光に彼らは息を呑んだ。
 時空間転送の閃光だ。色めきたった一同が取り囲んだと同時、目映い光は収束して消える。
 ――そして。

「プランA、成功しました」

 時間泥棒の落ち着いた声とともにその場に現れた人影を見て、彼らは暫時、言葉を失った。
 不吉な黒い装束。得体の知れぬ文字が浮かぶ包帯。以前よりも色素が抜けたように見える白い髪。しかしその男は、見紛いようもなく。

「――っ、銀、さん……!」
「銀ちゃ……っ」

 新八と神楽は肺腑から絞り出すような声を発して銀時の前に膝をついた。

「銀さん!」
「銀時……!」
「旦那ァ!」

 二人の声に糸を切られたが如く、みなが一斉に男を呼ばう。
 銀時、銀さん、と切迫した声で繰り返される呼び名に叩き起こされるかのように男の瞼が震えて、ゆるり、持ち上がった。

「……な、んで……オメー、ら……」

 けふ、と弱々しく咳きこみながら漏らされた言葉に、幾人かの瞳から涙が溢れ出す。

「ゆめ、か……?」
「夢じゃないです!幻でもないですよ銀さん!僕らここにいます!」
「銀ちゃんが……っ銀ちゃんが護ってくれたから皆ここにいるネ!アネゴも皆もピンピンしてるヨ!」

 新八と神楽は大粒の涙を零しつつも声を振り絞って、男の身体に取り縋った。
 たまが止血をしようとしたのだろう。銀時の胸には厚手の布地が幾重にも巻き付けられ、それでも滲んだ血で赤く染まっている。
 こんな似合わぬ装束を纏って、思い通りに動かぬ身体を引きずって、意に沿わぬ災厄を齎していく我が身を恨みながら、それでも世界を救おうとした男。
 彼の胸を貫いたのが彼自身の木刀である事を、ここにいる者はみな知っている。
 歪む視界に耐えかねた神楽が銀時の肩口に顔を押しつけた。じわじわと染み込む涙を感じたのか、霞のかかった瞳で宙を見詰める銀時の表情が、ふっと緩む。

「そ……か。夢でも、最期にイイモン見れた、な……」
「――っの、馬鹿が!」

 掠れた声で囁いた男に頭上から怒号が降る。
 一喝したのは土方だ。それまで彼に呼びかける事もせず黙って見下ろしていた男が、眦を吊り上げて苛烈な怒声を発している。

「志村の声が聞こえなかったのか!夢じゃねェっつってんだろクソ天パ!」
「……じ、かた……?オメーも、いんの?……よく、見えねー……」

 今際の相手にへかける言葉とは思えぬ罵声を浴びせた土方に、銀時は瞳を彷徨わせて微かに口元を震わせた。
 思うように動かせぬ身体にもどかしさを覚えたような銀時を見て、土方は口を噤み、ややしてからゆっくりと唇を開く。

「いいか万事屋。俺らはこれから、過去のテメーが蠱毒に感染する前に魘魅を叩き潰しにいく」

 もう周りの音を拾う事すら難しくなっているであろう男へ、噛んで含めるように、はっきりと。
 お前を救うと、お前が死ななくても世界を救う手立てがあるのだと、彼がそれを理解できるように。

「そしたらもう、銀さんが自分を殺す必要なんかないですよね?」
「銀ちゃん、答えてヨ。私達と一緒に生きてくれるアルか?」

 土方の言葉を引き継いで、新八と神楽が涙声で訴える。
 切なる響きをもって問われた銀時は、呆然たる様でしばし虚空を見詰めた後、瞳に微かに残った光を揺らした。

「……生きて、いい、のか……?」
「何言ってんですか!」
「イイ悪いじゃナイネ!銀ちゃんがどうしたいのかを聞いてるアル!」

 思わずといった調子で漏らされた声には、頬をひっぱたかんばかりの勢いで叫び返す。

「……万事屋、テメェはいつもいつも勝手に人の事ばっか護ろうとしやがって。たまにはテメェのわがまま通してみたらどうなんだ、ええ?」

 土方は感情を抑え込んでいることが手に取るように感じられる声色で唸ると、かつて胸ぐらを掴んで罵り合った記憶を思い起こさせるかのような、腹の底からの怒鳴り声を銀時に叩きつけた。

「言ってみやがれ、万事屋ァ!テメェの望みは何だ!」

 怒号を浴びて、銀時の喉が、ひくりと動く。

「……き、てぇ」

 それはまるで、口にしたら世界が滅びてしまう呪いの言葉を伝えるかの如く。
 おずおずと、さも禁忌を犯すかのように――彼は、言った。

「おまえらと、一緒に……生きてぇ……っ」

 その言葉が。
 望んではいけない事だなどと、どうして彼は思うのだろう。
 その言葉を。我らがどれほど待ち望んでいたか、どうして彼は知らぬのだろう。

「……頼まれれば何でもやるのが万事屋ネ」
「その依頼、僕ら万事屋が引き受けました」

 万事屋の看板を背負った二人が、泣き濡れた顔のまま笑顔を浮かべる。
 ワォンと語尾に重なった鳴き声に、さだはる、と銀時の唇が声なき声を紡いだ。
 そっと近付いて男の青白い頬を舐める巨犬の隣から、凛とした女性の声が響く。

「今回だけは私達全員まとめて、万事屋を名乗ってあげますね」
「お、たえ……?」
「……貴方に言いたい事はたくさんありますけど、それは後から来る銀さんに聞いてもらう事にします」

 今は一つだけ聞いてください。お妙はそう言って、今や声の方を降り仰ぐ動作すらも出来ぬ男へ微笑んだ。

「助けてくれて、ありがとう」

 おかげで私も、新ちゃん達と一緒に戦えます。
 力強く、我が身の壮健が男に確と伝わるように。他の誰でもなく貴方が助けてくれたのだと、貴方が苦しみ抜いた五年間は決して無駄ではなかったのだと知らしめるために。
 本来の気丈さを取り戻したお妙の言葉につられるように、新八と神楽も張りのある声を上げる。

「銀さん。アンタと一緒に生きる未来は、僕らが絶対に掴み取ります」
「大船に乗った気持ちで待ってるアル!」

 土方は頼もしく胸を張った二人へ横目を流して、ニヤリ、いつもの喧嘩相手に向けるような物騒な笑みを刷いた。

「何もかも済んだら、平和な世界でテメェの事しょっぴいてやるよ。人騒がせな失踪野郎」

 ツケも回収します。一杯奢れよな!妙ちゃんを哀しませた罪は償ってもらうぞ。チューぐらいしてもらうんだから!吉原にも顔を貸すことじゃ……
 口々に言い募る面々を霞がかった目で見渡して、銀時は、ほろりと口の端を崩した。

「……は、はは……怖ぇ、な……」

 唇から零された音はひどく弱々しかったけれど、それは紛う事なき、笑声。

「よろしく……たの、む」

 そう呟いて目を閉ざした彼は、自嘲からでも諦念からでもなく、確かに笑った。
 仲間の頼もしさを信じて、託した――託してくれた。自分の、命を。

 ぐい、と、新八が袖で目元を拭う。口角は上がっていた。神楽は涙を拭こうともせず、ぐちゃぐちゃな顔のまま笑っている。
 全員が、泣き出しそうな目のまま。それでも一切の迷いが消えた清々しい笑顔を見せて頷き合う。

「よし、行くぞ!プランBだ!」
「あのさァ、誰かが白夜叉と入れ替わるって言ってたやつ、俺やりたいんだけど」
「長谷川さんが?イイですね、それ!」
「銀ちゃんのマヌケ面が目に浮かぶアル!」

 イタズラを思い付いた悪童のような顔で長谷川が手を挙げると、新八と神楽が手を叩いて賛意を示した。
 そりゃ面白いと盛り上がる周囲がこぞって知恵を絞り出す。幸い長谷川の身長は銀時とさほど変わらない。白夜叉の扮装さえすれば少なくとも後ろ姿はそれらしく映るだろう。

「せっかくならあの野郎の攻撃を華麗に躱してやれや。上手い避け方を伝授してやらァ」
「うむ。銀時のことだからな、おそらく確実に仕留めるために背後から刺突を繰り出してくるだろう」

 背後に気配を感じたら、体を少し右に捻ってだな……土方と桂が愉しげな表情で身のこなしを指導する。
 こう?こう?なんて体を動かしてみせる長谷川へ、上手いじゃないかと周囲から笑い声が弾けた。


 変えよう、世界を。掴み取ってみせよう、未来を。
 今まで人の願いばかりを叶えてきた彼が初めて口にした、彼自身の望みを叶えるために。

 ――地面では『万事屋』の幟が幾本も、戦場の空に堂々と掲げられる瞬間を今か今かと待っている。



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銀さんを助けに十五年前に跳んできた新八神楽が、本来なら泣いて縋ってぶん殴ってもおかしくない心境のはずなのに意外とスッキリした顔をしていること。
本来は万事屋のメンバーでは無いはずのお妙さんが「私たち全員で万事屋」みたいな言い方をすること。
真選組がそれを否定するどころか、笑みを浮かべながら『万事屋』の幟を掲げていること……
ちょっとした違和感を集めて考えたら、こんな妄想になりました。


魘魅銀さんをどうしても救いたかった(´;ω;`)
矛盾点あるかと思いますが、お見逃しいただければ幸いです…… 

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